知的・発達障害を持つ息子は小学4年生。話すこともそうだが、書くこと、読むことの難しさもある。
保育園の年少の時。まだ診断がおりる前のこと。
保育園の子が全員、母の日に絵を書いてショッピングモールに展示されることがあった。
全員が保育園で絵を書いた日、担任の先生からこう言われた。「色々手伝ってはみたんですけど、どうしましょう…。一人だけ明らかに違うのですが、そのまま展示しても良いですか。」と。
つまり、他の子は「輪郭があって目や鼻や口がある絵」なのだけれども、「そうではない絵」ということだ。客観的にみればなぐり書きのような絵だが、本人がお母さんを一生懸命書いてくれたのだから、もちろん「全然問題ないです」と即答。
小学生1年生になってからは、ひらがなの宿題がでるが、形の模倣が苦手な息子は上手く書けなかった。「ここ違うよ。こうだよ。」と消されることや注意されることに対して、異常なくらいにすぐに怒ったり泣いたりしていた。ひどい時は、握っている鉛筆や近くにあった箱ティッシュがこっちへよく飛んできたものだ。
そんな状態が毎日毎日繰り返され、私も限界がきた。「もういやー!!」と私が泣き出す。そして息子も泣き出す。
先生に相談。家では全てやらずにできる範囲内で進めることにした。それからは時々平穏、時々戦争で前より穏やかにやれるようになっている。
そんな「書く」ことが苦手な息子。
1年生の冬、ひらがなやカタカナがまだまだ読めない&書けないにもかかわらず、ある日、私鉄の漢字で書いてある駅名をすらすらと読み出す。これにはとても驚いた。
「こどもって好きなことなら、なんでもやれちゃうのだな」と驚愕した。常に自分の好きな行動から学んでいるのだ。
ついつい「ひらがな」→「カタカナ」→「漢字」と学ぶ順番に囚われていたが、普通じゃないのだから学習だって枠に囚われなくていいのかと、ふと気持ちが楽になった。
先生が私鉄ノートを作ってくれ、漢字の宿題はある路線の駅名を書き続けたこともある。
図形の模倣が苦手なため、書くことに苦手意識を持っていた息子も、大好きな電車を知るためなら最後までやりきるのだ。
そうして、今は「俺、漢字好き。」と漢字がもっぱら得意分野になっている。
学ぶことに対して順番はない。
必ず誰しも好きなものはある。好きなものがあるっていうのは、その子の強み。
好きなものからどんどん吸収すれば良い。