音母ちゃんの仕事

母の仕事
音母ちゃんのプロフィール
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音母ちゃん

職業:主婦、看護師
男の子2児の母。長男が知的障害。その他、自閉症スペクトラム、注意欠陥多動性障害、発達性協調運動障害も指摘される。
遊びの中で発達を促そうと独学で保育士免許を取得する。

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音母ちゃんの仕事は「看護師」。

看護師は何をやるかと言うと①診療上の補助 ②療養上のお世話 と定められている。看護という字の通り「目で見て手でケアをして護る」わけだ。

生きること死ぬことにとても近い職業。それゆえ、「生きる」ということを様々な場面で考えさせられる。

今日はなぜ私が看護師になったか。

私の学生時代は「真面目」「模範生」「優等生」そんな言葉で飾られていたけれども、実は言われたことをただやるだけのロボットみたいなもので中身なんて何もなかった。「自分って何?」「なんで人って生きるのだろう?」そんなことを考える学生だった。
自分の本質がわからず、自己肯定感も持てず、生きづらさを抱えていた私は将来のことも具体的に考えてなかった。

ただただ親や先生は大人の言われた通りに「良い子」の仮面を被り生活していた。

しかし、高校2年生の時。祖父が胃がんで亡くなったことをきっかけに私の人生は変わるようになる。2時間目の授業中に担任の先生から「おじいさんが危篤だ。」と呼び出された。その時、私は「危篤って何?」と、笑った。が、祖父の姿を見た瞬間に無知すぎる自分を殴りたくなった。もう意識のない祖父を目の前に何も声をかけられない自分が無力であった。

私の家は祖父の家まで徒歩3分もない距離。

祖父は我慢強い人。体が苦しくとも次の決められた受診日まで我慢していたのだ。
なんで「最近体調どう?」って、なんで「大丈夫?」って声をかけに行かなかったのだろうか。

今なら「ごはん食べられている?」「何なら食べやすい?」「体重はどう?」「夜は眠れている?」「痛いところはない?」「手伝えることはある?」「我慢しすぎだよ。無理せず受診しよう」そんな言葉をかけられたかもしれない。

祖父の死をきっかけに、生きづらさを抱えていた自分が「生きる」ってことを何も知らないんだなと気づいた。

まだまだ弱い自分だが、看護師という職業を通じて沢山の人に出会い「生きる」ことを教えてもらっている。その教えや経験を生きづらさを抱えるこどもたちへ「生きる力」として繋げたい。

昨年、初めて母校での職業ガイダンスで「看護師」についてお話をさせてもらった。そして今年も行くことが決定している。

看護師の魅力もそうだが、アイデンティティを確立していく、この多感な時期だからこそ「生きる」ことについて伝えたい。
「あなたはあなたのままでいいんだよ」「あなたにはあなたにしかない強みが必ずある」と。

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