知的・発達障害をもつ息子は小学4年生。
今日は発達テストのため午後から学校を早退し、3か月に1回通院している病院に受診。
読み書きが苦手なため、LD(学習障害)の関連があるか調べるために、読み書きスクリーニングをすることになった。臨床心理士さんが検査する間、対人コミュニケーションとLDI-R(LD判断のための調査票)を記入して待つ。LDI-Rは基礎的学力(聞く、話す、書く、計算する、推論する、英語、数学)と行動、社会性で構成されており判定に使われる。
こういう「はい」「いいえ」で答えるのって難しい。できると言えばできるし、できないときもある。親がついていればできることもある。この回答尺度の「ない」「まれにある」「ときどきある」「よくある」も私の解釈の仕方だと「よくある」になるけども、きっと夫が解釈したら「ない」になることもあるだろうし…。出た。私もはっきりしないのだ。
そして、臨床心理士さんとの面談。
「おうちで困っていることありますか。」と臨床心理士さん。
あれ?よく考えたら今困ってること何だ?(笑)
そりゃ手はかかるし習得するのだって人の何十倍の時間が必要で、言いだしたらきりがないけど、だからといって困っているわけではない。
そんなこと言ったら、世間で「普通」と言われていることから外れてしまう人は全員困っているではないかと屁理屈が出てきた。
結局、普段の生活のことや学習面のこと、友達関係について話すが、なんだかできないことを本人の目の前でつらつら話す自分が嫌になってしまった。きっと本人も毎回、検査や面談、診察に行くたびに、これはできて、あれはできてと説明され、うんざりしているだろう。
面談が終わったあと、息子に「お母ちゃん、悪口言ってるわけじゃないからね。」と話す。
本人は「こっち!!アイス!!食べたい!」と自販機に向かい別の話をしだす。気にしてないのならよかったが…。
面談してから、頭の中がモヤモヤしていたが原因がなんとなくわかった。
今日私が「困っていること」がすぐに浮かばなかったのは、できないことはあるんだけれども、それが直接「困る」には繋がらなかった。
なぜなら「できない」中で、彼はちゃんと努力し彼のペースでちゃんと成長しているからだ。沢山の人の理解があって、今できる最大限の支援がされている。そんな環境で毎日生活できており、息子自身は楽しく過ごしている。苦手なこともあれば、ずば抜けて得意なこともある。全部まるっと彼なのに、「できない」ことを「困る」に無理やり繋げて話したからモヤモヤしてたのだ。子自身は必至で努力しているのに、できないことを「困る」と親に言われてしまったら、そりゃ悲しいだろう。
と、私の言葉が適切ではなかったと反省。
検査は決して枠に当てはめるためにするものではなく、その子の得意なこと苦手なことを共有し、やりやすい方法、生活しやすい方法、生きやすい方法を探すための一つのツール。
当時主治医だった先生の言葉を思い出した。
「私はこの子に診断をつけたいわけではない。この子にとって苦手なことがあればそれをフォローすること、サポート体制を築いてあげることが大事なんですよ。」
環境をつくるということだね。今日は基本に立ち返ることができた一日だった。