知的・発達障害を持つ息子。息子の障害を指摘されてから何冊もの本を読んだ。
その中で得たことは、障害の壁はどれだけでも高くなり、どれだけでも低くなるということ。
「壁は高くもなり、低くもなる」
知的・発達障害といっても特性は人それぞれだ。
興味の凹凸がある、集団行動が苦手、他者の気持ちを把握しにくい、コミュニケーションが苦手、ある刺激に対して過度に反応する、パニックになる、新しいことや突然の予定変更が受け入れられない、指示が1回では理解しづらい、注意散漫など。
特性があることで「普通」と「障害」の区別がされ、それが壁となってしまう。
しかし、その壁を低くすることができる。
それは
①療育により彼ら自身が生活のしやすさを学んでいくこと
②周囲と協力して環境をつくること
私は「①療育により彼ら自身が生活のしやすさを学ぶこと」ばかりに目が向き、すがるような思いで息子を療育に連れて行った。しかし「②周囲と協力して環境をつくること」で壁を低くすることを学び、なるほど!!私がやれることが沢山あるのではないかとふと気づく。
家での環境は、
- 視覚化が有効な息子に対して絵カードや写真を使って、もののしまう所を明示する。
- 見通しが立たないと不安になるため、今日は何をするか紙に書く。
- 予定を変更するとパニックになるため、晴れたら△△、雨が降ったら○○とパターンを決める。
- 家族内での理解者を増やす。家族に息子の特性を説明する。
保育園、学校において、
- 自慢の息子はこんな子ですと説明。
- 病院であった検査や、医師・専門職(作業療法士、言語聴覚士)に指導された内容を担任の先生に伝える。
しかし友達関係については難しい。小学校に入って、悲しかったことは「特別支援級の子だから遊ばない。」というイメージによるレッテル。「特別支援級ってただ遊んでいるだけでしょ。」「特別支援級の子に言ったって仕方ないよ。」という言葉。
確かにそう見えてしまうのも仕方のないことかもしれない。だけど、彼らは本当は皆と遊びたいのだよ。彼らなりに一生懸命努力してるのだよ。
こんな子もいるのだよ。
少しでも知ってくれる人が増え、その壁を低くできることを祈っている。
そして壁が低くなり、いつかはこの世の中全ての壁がなくなり、共生社会の実現を願う。