知的障害という診断の受け入れ

障がい児
音母ちゃんのプロフィール
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音母ちゃん

職業:主婦、看護師
男の子2児の母。長男が知的障害。その他、自閉症スペクトラム、注意欠陥多動性障害、発達性協調運動障害も指摘される。
遊びの中で発達を促そうと独学で保育士免許を取得する。

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長男は知的障害(療育手帳B判定)を持つ小学4年生。他にも自閉症スペクトラム、注意欠陥多動性障害、発達性協調運動障害を指摘されたことがある。
気づいてから診断されるまでの道のりはいばらの道を進んでいるかのようだった。

「言葉が遅い」「歩き始めが遅い」「歯が生えるのが遅い」とわかっていたけど「男の子だからね」という言葉に逃げていた。母からは「なんか芸を覚えさせたら」と言われ、自分はゆったりと育児がしたいのに!と怒ったこともある。が、それはどこかで「何かがおかしい」ということに目を向けたくなかったのかもしれない。
3歳児健診、皆が親やスタッフの指示を聞いて静かに待つ場面で、始まりから終わりまで一人で楽しそうに走り回り、しまいには出口を飛び出していく我が子。
保健師さん「これくらいの年齢の男の子はそんなもんですよ。これから保育園で集団生活に入るし、数カ月後にフォローの電話をいれます。また様子を聞かせてください。」と。

しかし、約束の数カ月後を待っても一向に電話はかかってこない。
保育園では、給食で皆が席についている間一人だけ廊下を走る。友達が積み重ねた積み木を嬉しそうに壊す。あっち行ってフラフラ。こっち行ってフラフラ。初めてなことには異常なくらい泣く。入園にあたり必死でトイレトレーニングをしたが、確立されておらず、保育士さんからは「無理せずおむつをつけましょう」とまた逆戻り。園児が朝の仕度を10分で親とするのを、言うことを聞いているのかわからない長男と一緒に朝は教室に30分は滞在。「あれ?なんでうちの子ちがうんだろう」と涙が出た。

ちょうどその頃、かかりつけ医の医師から言語遅滞を指摘され、総合病院に紹介状を持って受診。そこでの医師の言葉に救われた。


「私はこの子に診断をつけたいわけではない。この子にとって苦手なことがあればそれをフォローすること、サポート体制を築いてあげることが大事なんですよ。」と。

いつも自分は完璧を求められ「普通って何?普通じゃなくていいじゃん。私は私なんだよ。」と苦しんでいたのに子どもには「普通」を求めていたことに気づく。

この子がどんな子であれ、私の愛する大切な子に変わりはない。この子が幸せに生きていけるように支えることが私の役目だと再起。

医師は意図的だったかわからないが、私が聞くまで診断名を言わなかった。それまでは「○○疑い」と教えてくれていた。私がはっきりと医師に確認したのはその3年後の小学校入学時。その3年のおかげで「診断」ではなく、「子ども自身」と接することができた。

勿論!!私って受け入れができんたんだわと思ったら、節目節目でまた悩み、「私のせいで…ごめんね。」と悲観的になってしまうこともあり美談だけではないです。だけど、それも含めて我が子たちが私の人生をいつも色鮮やかにしてくれる。

そんなこんなで、「看護師母ちゃんと障がい児の生きる道」始まります。

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